
彼の遺書によると音楽というもの、
そのほかのものに関しても情熱を感じなくなり、
自分は情熱を持っていないのに
観客は熱狂して自分の音楽を楽しんでいる。
観客を騙したくない、情熱を持たない自分が
観客を熱狂させるのはうそっぱちだ、
そんなことはあってはいけない。
嘘はつきたくないということらしい。
カート・コバーンは非常にナイーブで
自分に正直な人間であった。
彼は権威というもの、保守的な
大人、企業、産業的なものに対して喧嘩を売り
その信条は売れてからも変わることのなかった。
しかし今まで端のほうにいて、
反骨精神を持ってメインストリームを批判してきたのに、売れるに従いメインストリームへと押し上げられてしまった、
若者の代弁者となってしまった。
彼はただ自分のフラストレーションの発散としてロックを歌ってただけなのに・・・。
カートは企業的な、産業的な耳障りのよいロックを嫌い、
パンクの大人社会に喧嘩を売り、フラストレーションをストレートに表し、
ステージで暴れ回る姿に影響を受け、
そこにもやもやした、理由のはっきりしない怒りというものの答えを見つけ、
自己の確立を見いだしたのだと思う。
しかし、自分の歌がヒットするにつれ大勢の人間にとって仕事を与えているという現状、
社会の大きなうねり、流れに飲み込まれつつあるという現状、
自分たちがロック産業の一味いや中心的存在になってしまっているという現状と
今までの自分がもっていたポリシーとの矛盾が生じ始めてきた。敵視してきたものの中に自分が入ってしまってるということ、
ロック産業、企業に染まるまいと頑なに自分を貫き、妥協を拒んで生きてきたために、
信念と、ロック産業で食べていかなくてはいけないという現実に折り合いをつけることが
できず心の中でうまく処理できなくなり、
自己不信、アイデンティティの崩壊、
そしてあらゆるものに情熱を感じなくなってしまった のではなかろうか。
普通の子とちょっと違う、そんなカートが持っていた考え、怒りといったものが、
ちょうど時代の求めていたものと奇跡的に合致し、
本来なら社会の端にいるはずのものが、
メインストリームへと押し上げられてしまった。
自分の意志に反してカリスマとして、
若者の代弁者として受け入れられてしまったのである。そして自殺によってその虚像を破棄したかった のかもしれない。
僕にはカートの最後の世間への反抗であったような気がしてならない…。
そんなカートに愛されすぎたのか…
最近のコートニーラブである…
これこそが猥褻…
本当にみたいですか…?



















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